① | 奄美大島(鹿児島県)を本場生産地(発祥の地)とする絹織物で日本の民族衣装を代表する着物(キモノ)の女王と言われている、高級絹織物として着る人のステータスシンボルです。 |
② | 約1,300年の歴史を誇る、日本の伝統的工芸品です(734年奈良東大寺の献物帳に記録されている) |
③ | 大島紬とは(大島紬の定義、昭和55年通産省が伝統的工芸品に指定するに当たり制定) |
(1)絹100%である | |
(2)先染手織りである | |
(3)平織りである(経(タテ)緯(ヨコ)糸は一本ごとに浮沈する織物の基本) | |
(4)締機(しめばた)で手作業によりタテ・ヨコ絣の加工をしたもの(大島紬の絣を作る作業) | |
(5)手機(てばた)でタテ・ヨコ絣をカスリ合わせて織り上げたもの | |
*先染めとは = 糸に直接色を染付けた後に織上げる染色技法で大島紬が先染めの代表格です。 | |
*後染めとは = 白生地を織り上げた後に手描き、又はプリントをして模様を出す染色技法で友禅、しぼり等が代表です。 | |
*絣(かすり)とは = 糸または、布面に染まった部分と括られて染まらない部分のある模様の名で(飛び白とも言う)大島紬では十の字絣といい大きな特徴です。 | |
*織物の三原組織 | |
(1)平織り | |
(2)斜紋織り(綾織り) | |
(3)繻子織り(朱子織) | |
④ | 織口(はし)の検査商標が地球印マークと奄美大島産地の登録商品名が本場奄美大島となっており他産地、他商品とはっきり区別する事が出来ます。 |
西暦 | 年号 | |
460 | 仁徳天皇の頃我が国では唐から養蚕を導入普及とする。 | |
661 | 白雉12 | 天智天皇の頃、古代染色が始まる。奄美でもこの頃からテーチ木染が始められた。 |
734 | 天平6 | 聖武天皇の頃、奈良東大寺献物帳に褐色紬の品奥あり。 |
952 | 天歴6 | 我が国桑園奨励奄美でも養蚕が行われた。 |
1595 | 文禄4 | 江戸時代の初め頃から特に奄美では古代手紬の製法技術が著しく進歩した。又琉球各村に紡績織物工場を創立し奨励した。 |
1720 | 享保5 | 薩摩藩々主「紬着用禁止令」 大島・徳之島・沖永良部/喜界島の与人、横目目指筆子、掟までの役人には紬着用は許すけれど右以下の物には一切許さない。真綿糸献上品として織る。 |
1829 | 文政12 | 芭蕉の繊維で絣括りをし緯絣紬が織り出された。 |
1871 | 明治4 | 第一次技術革新期 廃藩道県に供ない生産販売が自由になり、(明18年)市場人気が高まり家内工業から工場生産へ移行(鹿児島で生産)泥染め法(赤木名の四本ユキ女史により開発) |
1890 | 明治23 | 経・緯絣の絣合やが初めて行われる(喜界小野津浜上謙翠氏の妻) |
1895 | 明治28 | 手紬糸から玉糸を使用、市場人気高まる |
1897 | 明治30 | いざり機より高機に変わる、生産向上を計る。 |
1901 | 明治34 | 紬生産組合設立、製品検査始まる。 |
1902 | 明治35 | 絣締機発明される。笠利町赤木名の人重井小坊が絣加工用締機を発明したが若死して永江伊栄温氏によって実用化される。 歴史的技術開発である。 |
1912 | 大正1 | 大正時代は安定成長期で元年の生産単数は34,335反で大正10年は334,228反と急成長をとげた、大正14年には、方眼紙による図案出現で柄物の多様化、又玉糸から本絹糸使用の製品化される。 |
1927 | 昭和2 | 第二期技術革新 大島紬歴史上最高356,094反生産される。 |
1929 | 昭和4 | 泥大島紬に部分的な着色法が開発され、合成染料が取り入れられ派手な変化に富んだ柄模様が出来た。 |
1933 | 昭和8 | 藍大島、泥大島紬が出現単彩調からバラェティに富んだ模様化の幕開けとなる。 |
1940 | 昭和15 | 奢侈品製造禁止令で優秀品の生産が停止される。大島紬は奄美に於ける生命産業であり生活手段を失い、又伝統工芸技術が滅亡する恐れの為国に訴地方長官許可織物として一部製造。 |
1945 | 昭和20 | 第二次世界大戦の為大島紬生産停止(皆無) |
1950 | 昭和25 | 米軍政下資金により原料糸入手(本場奄美大島)織口となる。 |
1954 | 昭和28 | 日本復帰により本土との交流が活発化、本格的生産される。 |
1954 | 昭和29 | 紬組合改組 ”本場奄美大島紬共同組合” 設立される。 |
1955 | 昭和30 | 第三期技術革新 伝藍染の抜染法が開発される。合成染料による色大島出現。白地大島生産される。商標【地球印】意匠登録完了。その他、締・加工・染色・織等各技術改善がなされ生産能率の向上と多色入り製品が容易になる。 |
1965 | 昭和40 | 日本経済の高度成長と共に問通からの誂受注生産による販売が活発に行われ絣紬の手織り産地として全一の大飛躍をとげた。 |
1972 | 昭和47 | 戦後最高の284,278反生産するに至る。 |